第一章瓦の歴史 | 日本で最初の瓦、実は今も現役です!?

瓦の歴史

現在、いろいろな屋根材がありますが、もっとも馴染みがあるものは瓦じゃないでしょうか。昔からあるもので一般的なお住まいにも使われていて馴染みの深いものです。

その歴史を紐解いてみると、「588年に仏教とともに百済から伝わってきた」と言われています。このような記述が非常に多いのですが、これだけだと説明不足なのでそれまでの経緯をご説明します。

まず仏教が伝来したされているのは学校で教えられているのが538年です。これは元興寺縁起の記述であり、日本書紀では552年とされています。588年に百済からは仏殿を建てるためにさまざまな人が日本にやってきました。渡来してきたメンバーは瓦博士4人、鑢盤博士1人、寺工2人、画工1人です。現代風に言い換えますと寺工はお寺を建てる大工さん、画工は仏教絵画を描く人です。瓦博士は瓦を造る人、鑢盤博士は仏塔に取付けられる金具(相隣)を造る人で、これらに従事する人だけ「博士」なのです。おそらく、瓦も相輪も造るのに相当な技術が必要だったのでしょう。瓦博士を4人も渡来させたということは窯を造る人、粘土から瓦を整形する人、瓦を焼く人と分業化されていた可能性も考えられます。彼らとその指導を受けた日本人によって法興寺(飛鳥寺)は596年に完成しました。法興寺は710年の平城京遷都の際、現在の奈良市に移転され、元興寺と名前を変えます。この際、法興寺の一部が移築されています。

戦後間もない1948年から1954年に元興寺(当時の名前は極楽院)の禅室が修理され、本堂は解体修理されました。このとき、驚愕の事実が確認されました。屋根の瓦4413枚のうち、法興寺から運ばれたものが約600枚、このうち170枚は百済からやって来た瓦博士らが造ったものだったのです。1400年以上現役という驚異の耐用年数、そして今なおこの瓦は使われ続けています。